体が硬いどっとこむ

ある時代、奇特だった「ミニマル」くんが危篤あるいは既得に関する駄文

9月
29

情報や形の量を少なくする、いわゆるひき算のデザインというのは、
どう頑張っても「無」にはなれない。そして「駄」であってはならない。
しかし誰も「無」でありたいとは思っていない。

考えてみれば、ミニマル思想のプロダクトの表現は
随分と先進性というより、アップルの2回目の成功以降はオーソドックスになった。
昔からあんまり好きじゃなかったけど、私は、
これはもはや追求するべきものではない
と、思い始めている。

20世紀からこれまでのところの流れを見ていると、
どうも俳句や禅の「わびさび」というものとの本質的な共通点は今のところは存在しない。
ある意味でサンセリフ体と親和性が高い様式でしかないのではないか?
はたまた「余計な要素を追加するな」 という、
依頼主や世間へのプロパガンダにも似た警告ではないか?

優れたアートは否定や肯定もせず、意味すら持たないと思うが、
たぶん「ミニマル」は、「無」になれない以上はアートの延長線上にはなるわけがないのであろう。
それらはいったいなんなのだろうか?結局、存在を強調するだけのフィルターなんじゃないのか?
引き続き様子を見てみたいと思うが、そこには確実に私が愛する情緒という余計なものはない。

O2OってARからしくみを逆行してまで話題化してるのに、どう考えてもコストがかかる

9月
09

最近、どこからの発祥かわからないけど(たぶんアメリカのテック系から)、O2Oという言葉を耳にしますね。
オンライン to オフラインの略です。Boys2Menみたいな、いかにも考えた人の性格が出ています。

数年前にはARが空前のブームを迎えていました。
セカイカメラから始まり、AR3兄弟というユニットまで現れ、業界が活気づきました。
このときは技術者がしくみを解説し、動画をみて「おー!」となったものです。

昨今のO2Oの話題化は海外の受け売りだと思いますが、わざわざ技術的な話も必要なく、
ARよりも先端性はありません。
僕には今のところ、ARを超える真新しさはなく、わざわざいかにも新しい風にキーワードかしているだけの言葉に思えます。
関係者も「あーそうだよ」と言うだけでに違いありません。
では、なぜO2Oが、今さら取り沙汰されているのでしょうか?
スマートフォンの普及とか、新しい技術とかではなく、
乖離してしまったリアルとバーチャルの格差の補完計画の合図だと思います。
噛み砕いていうと、オッサン対ワカモノみたいな感じです。

で、オッサンにもわかりやすく説明しますと。
オッサンはいいものを選ぶのでお金がかかります。生身が必要な分野は絶対になくならないし、
その分野では若者よりも一日の長がある。給料も高い。
ワカモノは経験がなく近代化された教育の分、給料が安く効率がいい。使い回しもきく。

もう一度、話を戻してみましょう。
前述の例えで、
オッサンを「商品」「実店舗」「流通」、
ワカモノを「コンテンツ」「EC」「テクノロジー」
と置き換えてもさほど感覚的なズレはありません。
これらはここ10年ぐらいのあいだに、対立してきた仕組みです。
ここに来て、維持を張り合っていたお互いが擦り寄らなければ、
市場が膠着する事態になったんではないでしょうか? とくに日本の経済。
たぶん新しいことを思いつくまでの時間稼ぎです。
O2Oはオッサンを説得しつつ、IT住民にブルー・オーシャンを提供するために生まれた
講和条約の条文です。どちらが有利か?答えはわかっています。
アナログなオッサンからこんな話が持ち上がるはずがありません。
コストが掛かるし、コンバージョンも曖昧にします。
オッサンの弱点そのものです。

綾小路きみまろ風に言えば、
オッサンはオッサン同志でやってればよかったのに〜。
オッサンは騙されてはいけません。欲しいのはオッサンじゃないのよ、オッサンのもっているお金なのよ。
いつの時代もオッサンの未来はワカモノの絶望でした。これはワカモノからの静かな報復かもしれません。
そしてオッサンがワカモノになることはありません。10年間見向きもせず、左方成長し続けた技術。
もはやWEBを根性論で理解するのは無謀の極み。

そして21世紀のテクノロジーはリアルな世界でしかなしえなかった、
アナログな分野も侵食し始めることでしょう。

クーポンやポイント配布、在庫情報、あるいはNFC。手垢まみれです。
そもそもオンラインとオフラインって、数年前から境目なんかなくなってるような気がするので、
O2Oという言葉を覚えなくていいかといえば、そうではありません。
オッサンを説得するのに、3文字以上書かなくて済むから便利です。