今日の総括。来てみた、東北

お疲れさまです。と言ってみます。 僕は東北にくるつもりはありませんでした。 しかし、神戸の大震災のときも大阪で高校生だった僕は現場を見る行動力もなく、 少し、大人になった今でもあまり変わっていません。 あの頃よりもお金も少しは自由に使えて、大人という権利を得て、 東北に関わりのある友人もできました。

そして、3.11以降、みなさんが故郷でもないけど、なにかしたいけど、 どうしていいかわからないモヤモヤを抱えながら、何も出来ない状況。 僕もそのひとりでした。

人間的にも、クリエイターとしても身近な先輩の写真家の高橋富之さん(以下、トミさん)声をかけていただき、 東北にきました。トミさんは岩手の人ではありません(福島の人です)が、作品撮りは東北が多く、 4月27日から東北にきてボランティア等にも参加し、もはやコーディネーターのようです。 この状況を見て欲しいという意思も感じて、 僕も自分なりに満足のいく仕事はまだまだ出来ているとは言えませんが、 クリエイティブなお仕事で発信側に立つ人間として、変な話ですが、 ヒトの叡智や文明では、どうしようもないけど、逃れようのない状況を見ておくのも 避けられないのではないかと思い、東北にきました。

 

一ノ関に到着。何気ない日常の東北。 トミさん「一ノ関も見たいところいっぱいあるんだよね。 尊王時、金色堂なんか」 土地勘のない僕には近いのか遠いのかわかりませんが、 一度、見てみたいとおもいました。 東北が大変だと思ってきたのに、のどかなゲートです。

 

ヤバいところにいく前に、食べないと、この後は食べられないということで、 ラーメン福福にきました。

キャラクターや文字のあしらいから、正直、あまり期待していませんでした。 でも、ここは東北、そんなことは関係ありません。 東京とは違う勝負をしている店なのかもしれません。

ラーメンは写真のとおり、桶ほどあるサイズの器に注がれたスープ。 ピリ辛トンコツラーメンを汗をかきながら食べました。 そこそこにおいしいです。東京だったら雑誌に載っているくらいインパクトあります。 まーまー、そこそこ、うまいじゃねーか。と、束の間。

腹ごしらえも済んだところ、2〜30分程度、来るまで気仙沼付付近まで移動。 何となく予想していた光景が視界に入ってきました。

舟が陸地にぽつんとあります。 シュールです。被災地でした。

瓦礫などは当然あるでしょう。と、思いつつも、おもむきを残したまま、 酒、たばこ、サントリーの文字すら違う感想を抱きます。

気仙沼は有数の漁港とききます。それ以上に横たわる交通標識は視覚的にシュールで、 自分がデザイナーで、この状況でどうしてもシュール以外の表現と感想を吐き出せない職業病的な なにかが、まだまだ未熟なの性格なのか冷静なのかわかりませんでした。

少し、場所を移して、同じ気仙沼の川沿いだった場所にきました。 先ほどの船よりももっと、陸の上の瓦礫と一緒にあるこの景色。 周囲一面、村だったのか街だったのか、住宅地だったのか、もはやわからない景色。

なんだろう?このカモメ?

裏面です。

はたと、ここは駅だったのかと気づきます。 鹿折唐桑駅。あのカモメは駅前のモニュメントだったということでしょうか。

駅の待ち合い室の向こう。奥に車が横たえたままです。 ベンチが横一列に律儀にならび、この土地の雰囲気とあいまって、 無機質でそのままな物質の訴えを投げかけます。

塩害なのか、焼けて酸化したのかまったくわかりません。 車はひしゃげて、塗装ははげ、褐色というより、茶色のオブジェのように見えます。

ここはトミさんもはじめて来たのことですが、2人とも何かを感じずには得られません。

このあと、もっともどうしようもないくらい、震災以前は街だった場所の 陸前高田を訪れました。もはや、街すべてがなくなった情景になっており、 僕の写真ではあまり意味がなく、表現もできず、あたり一面が壊滅していたので、 写真を撮る気にもなりませんでした。 大船渡も陸前高田ほどではないにしても、来てみないとわからないほど、海水は残ったままの状況が散見される、 報道ではわからなかった、景色が視界を染めています。

しかし、被災地はここだけではないにしても、津波地震で倒壊していない地域は以前と同じように、 いや、それは難しいかもしれませんが、飲食店は通常通り営業しているし、人々は粛々と生活しています。 確かに水産業は大きなダメージを受けたのかもしれません。報道されている部分は良くも悪くも一部分にすぎません。 道一本へだててれば、精神的なダメージはあるにせよ、元の日常を取り戻そうと努めているように見受けられます。 ボランティア経験したトミさんの話だと、すでに物資は余剰しており、 ボランティアの人たちに水だけでなく、ウェットティッシュや乾物食品が配られるほどだそうです。

都会にいながら原発や経済の影響に危惧することも当然だし、今でも僕はそうです。 でも、悲観して、ソワソワするのは来てみてからでももいいと思いました。 コマーシャルのように、がんばろうなどというのも違います。すでに東北はがんばっています。 俺もがんばる。